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ドラえもん のび太の新恐竜

「新恐竜」には2つの意味が込められている(はず)だ。1つは、登場するのが未発見の種という意味での「新」。もう1つは、昔の「のび太の恐竜」に対してリブートであるという意味での「新」。この映画、ドラえもん生誕50周年という看板を背負ってるんだよなあ。いいのかなあそれで。

子供と観てきた感想。一番は、「ミュウいる?」今回登場するのは双子の恐竜、ミュウとキュウ。ミュウはすぐ飛べるようになったり(翼が生えているのだ)、すぐなんでもできるようになるのに、キュウは飛ぶこともできない、世話の焼ける子。とうぜん、自分の重ねるのび太の寵愛を受けることになる。ミュウの方はすっかりおいてけぼりなので、ちょっとしずかちゃんにかまってもらったりするぐらい。ラストでものび太にさよならも言ってもらえない。かわいそう!もちろん、できないキュウとの対比で出してるんだけど、そんな必然性だけで魂がこもってないのがなんとも痛々しく…だったら出さなくてもよかったんじゃない?

次に気になったのは、「仲間の心配もせずにイチャイチャしてんじゃねーよ」。のび太がいなくなって、しずかちゃんが「のび太さん…」てなってますが、一方その頃ジャイアンとスネ夫も行方不明ですが?それをしずかちゃんはおろかドラえもんすら話題にしない。ひどくない?あげく、のび太が見つかった時に抱き付いたり、やたら接近させてるけど、これいる?

あとは(以下ネタバレ)…最後、力技で一部の恐竜たちを絶滅から救ったのび太たち。それはまあギリギリ許すとして、それにしては別れのところはあっさり。歴史に影響しないってことは、彼らも結局絶滅するんだよね。そのことに触れないのはいかがなものか。そこにこそドラマがあるのではないのか。子供に背負わせるのは重すぎとでも思った?

あとは、最後キュウが飛べるようになることと、のび太も逆上がりできるようになることを対比させてるんだけど、ここの展開が先読めすぎてなんか陳腐。たとえばさ、普通と違うがゆえにいじめられる者が、実はミュータントで…という展開の仕方もできたし、その方が時流には合ってるんじゃない?何もできないのび太が実は…と創造したらちょっとゾクっと来るよね。

そんな訳で個人的には不満タラタラな私ですが、そんな「新恐竜」でも、予告でかかった「STAND BY MEドラえもん2」に比べりゃずっとましか…なにあれ?誰向けの映画?柳下毅一郎氏が指摘してるように、なんかあまりにも自己中心的すぎるんじゃないだろうか?これは見に行かないだろうなあ確実に