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新作歌舞伎「風の谷のナウシカ」

昼の部夜の部の2部構成だが、仕事の都合で夜の部のみ鑑賞。

この歌舞伎の観客は、「歌舞伎(ないし役者)」を見に来た」「ナウシカを見に来た」に分かれると思う。もちろん歌舞伎なんて見たこともない私は後者な訳だが、客は女性客が多く、見たところ圧倒的に前者が多そうである。そんな人たちは、「ナウシカってどんな話?」とか、「話についていけるかしら?」とか、「ナウシカってあれでしょ、ナウシカが大カイショーを止めて世界を救う話でしょ(それは映画の話で今回は原作漫画ベース)」みたいな不安を抱くんだろうが。こっちはこっちで、「歌舞伎が分からないのについていけるか」だの、「かなり前(2列目!)の席なので、積極的に参加を求められたらどうしよう?いよっ千両役者!〇〇屋!とか(完全に知識がない中想像で言ってます)」だの、「そもそもあの話を歌舞伎でどうやって表現するのか?コルベットの空中戦は?巨神兵は?」だの、色々と不安があったわけで。

鑑賞してみて、「今日は大事なことを学んだ」。それは、「見立て」だ。映画「ダンケルク」の町山さんの解説で、ドイツ軍の戦闘機メッサーシュミットがたった3機しかない(本当はたくさんいるはず)のは、「見立て」だと。クリストファー・ノーランがCG嫌いだったからなのでが、たまたま3機あったメッサーシュミットを「大勢の敵」に見立ててくれと。この「見立て」は例えば特撮や舞台、落語などでも見受けられるが、(見たことなかったが)歌舞伎では常套手段であろう。ダンケルクの予備知識があったから「あーここはそういう『見立て』なんだ」と納得して観れたのは大きい。チャルカ(土鬼の僧)が、ふつーに仏教のお坊さん姿で登場した時には、少しだけ「うっこれは…」と思ったが、その後はわりと大丈夫だった。

とはいえ、歌舞伎の表現で制約がどうしても出てしまうところはある。私の大好きなシーンで、クシャナが自分の軍を救うためにカポの自国の基地を急襲したが失敗し、そこへ蟲の大群が…というのがある。そのシーンでは思わず泣いてしまったが、戦闘機コルベットをぶち当てて奪うアクション的見せどころをどうするのかと思ったが、やはりそれは限界があり演出を変えたりしている。そういえば、主演のナウシカ役の  尾上菊之助 が私が見た回の数日前に負傷したというニュースがあり、上演前にも、「そのせいで若干演出に変更がある」というアナウンスがあった。そういった影響もあるのだろう。おおむねはそれで私的にはOKであった。アクション以外にも、対話劇など(ヒドラの誘惑、ナムリス、シュワの墓所など)ナウシカには楽しみが多々ある。このあたりは歌舞伎には合っているのかも。

そんな私も最後の「見立て」にはのけぞった。なにぶん 歌舞伎素養がないせいだが、巨人であるはずの巨神兵とシュワの墓所の主が擬人化?(普通の人間サイズの人間で)して、例の長い髪の毛をふりまわすやつで戦う(踊る?)のだ。そうか。これが歌舞伎的オトシマエのつけ方か。

全体としては大満足の本作だったが、ちょっと不満な部分もある。それは、ナウシカのキャラクターが、歌舞伎の女形に合わないということだ。ナウシカは時に激しい一面も見せるが、それは男性が女性を演じれば解決するものではない。なぜかというと女形は男性がいかに女性らしさを出して演じるかということに重点を置くからだ。それでも女形女形はしないようにはしているのだが、よく宮崎さんがこれを許可したものだと思った。なぜか、クシャナの方はあまり気にならないというのも不思議なものだ。

あとは細かい点だが、入場して正面の幕が、映画のオープニングのタペストリーを再現していて、これはうれしかった。世界観をこれで説明する、ということらしく、後編のオープニングで使っていた。