ジョーカー

最初の私のこの作品に対する期待度はそれほど高くなかった。「あー、今度は悪役シテンで1本作るのね。そういう観点もあるよね」といった、わりと冷めた受け止め方であった。若干アメコミ映画にも食傷してたのかも。加えて、今回は事前知識がどんどん入ってくる。特に、アカデミー主演男優賞レースでタロン君と一騎打ちだとか、ジョーカー役のホアキンはこういう基地に入れない役は十八番だからタロン君にあげるべきとか。私も先にロケットマンを観てそう思ったし。

といった、もろもろの設定されたハードルがあった訳だが、それらを軽く飛び越えてきたね。売り文句にもあるがまさに衝撃と言ってよかった。だいたい傑作の映画は、最初のシーンでだいたい分かるもの。今回も、最初にピエロのメイクをしているホアキン(アーサー)の横顔のアップがうつって、そこに描いたメイクの涙が垂れてきた時、私は確信した。とにかくこの映画は絵がいい。見たこともないようなゴッサム。ごみだらけなのになぜか美しい。で、ホアキン。私はそんなに彼の演技を見てきた訳ではないが、ちょっと凄いと思いましたよ、素直に。 この辺からネタバレだが、これ、冷静に考えてみればジョーカーにあまり理はないんだよね。 だって、いくら電車の客がイヤな奴だったり絡んできたといっても、殺されそうだったかどうかは分からないじゃん。でもいきなり殺しちゃったからね。そこを、アーサーの方を正当化するようにもっていく演技と演出。これを、現代にまさにマッチした格差の問題をからめて、ジョーカーをヒーローにまつりあげていく。もっていき方も見事。

主人公アーサーは、精神が不安定で、薬を何種類も処方されている。しかも、市の助成打ち切りで処方もストップ。ということは、この後は私大好きの、信用ならない語り手映画になっていく。恋人の件は、不幸なアーサーにしてはあまりにもうまくまわりすぎるので、どうもあやしかった。それに、バー?でアーサーが出演していて、最初まったく笑いがとれなかったのに、突然カットが入ったように客席の笑いが起きるシーン。そのことを敷衍すると、他にもあやしい点が。尊敬するマレー・フランクリンの客席にいたアーサーが声をかけられて壇上に上るシーンがあるが、これは確実に妄想くさい。なので、その後マレーのTVから出演オファーが来たのも、妄想ではないかと思った。

これ、いわゆるユニバースの流れに入れないからある程度自由に作れたのもよかったんだと思う。

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