「小説」カテゴリーアーカイブ

最悪のシナリオ

先日、とあるミステリー小説を購入。「意外な結末」というふれこみで、巻末が袋とじになっているもの。最近の読書は電子書籍がほとんどな私だが、さすがにこういうのは難しいかね。ところが後々最悪のシナリオ展開をみせる

  1. 買ったその日に風呂場で読んでいたところ、眠りこんで水没。あわてて乾かしたのでかろうじて読める状態ではある(袋とじも無事)が…悲しかった
  2. 出張先のホテルで、袋とじ直前まで読んだあと寝てしまい、そのままホテルに忘れてくる
  3. 実は、その前にAmazonで買っていた
    この本、袋とじのまま返品すると、買ったお金を返してくれるらしい。ある程度本気のようである。水没した時点で既に私は2冊目を注文していたのだが、これには以下のようなもくろみがあった。
    1. まず水没してない新しい方で袋とじ直前まで快適に読む
    2. 次に水没の方の袋とじを開封して最後まで読む
    3. そして、水没してない、袋とじを開封してない本を返品しお金を返してもらう
      これだったら、本の購入代金は1冊分ですんだはず。ところが、ご存じの通り、水没本はホテルに忘れてきたので、結局新しい方だけで袋とじを開けてしまうほかなく、結局これについては2冊分のお金を払っている勘定に…
  4. 結末が結局袋とじ前に予想した内容ほぼほぼ同じ
    ここまで来た私だが、まだ逆転の手は残されていた。それは、「結末を予想した上で、開封せずにそのまま送り返す」だ。それはそんなに非現実でもなく、直前まで読んで、私には1つの解答が頭に浮かんでいる。ちょっと勇気を出せば、封を切らずにいけたはずだ。そう、自分に自信さえ持てれば…だが、もう覆水盆に返らず…

空まで踊る/ブレイン・サラッダ・インヴェスティゲーション(景山q一郎)

この2冊は、共通する登場人物によるシリーズ物のミステリとなっている。これまでのシリーズ物ミステリと異なるのは、この2作は人物だけでなく、共通の事件を扱っている点である。しかも、例えば「空まで踊る」だけを読んでも、それはそれで1編のミステリ作品として成立している。しかし、その後で、「ブレイン・サラッダ・インヴェスティゲーション」を読むと、前作では気付かなかった点にスポットが当てられた結果、同じ事件がまったく異なる様相を帯びることになる(ネタバレに気をつけたいので、この段落では書けるのはここまでか)。事実、私はこの2作を読む間に1ヶ月ほどのブランクがあったため、結局、 「ブレイン・サラッダ・インヴェスティゲーション」 の読後に、確認のため 「ブレイン・サラッダ 」 で言及されている箇所をもう一度「空まで踊る」で読み返す、という、都合1冊につき2回ずつ読むはめになった。こんなしかけのミステリー作品は見たことがない。その経験も結末も含め、大満足させてくれる2作品であった。ちなみに、「ブレイン・サラッダ 」→ 「空まで踊る」 の順で読むことはおすすめできない。

さて、以下はネタバレになるので、未読の方はご遠慮いただきたく。別に犯人を明かす訳ではないが、物語の構造や仕掛けに言及するからである。

まず、 「空まで踊る」 はあえて、一般的な本格っぽい皮をかぶっているのに対し、 「ブレイン・サラッダ 」 はのっけから叙述っぽい仕掛けをぷんぷんさせている。まず、章題。これは叙述で有名な(映画化もされた)某作品を読んだことある人ならピンとくる仕掛けになっている。だからこれは作者の「やるよ?やるよ?」というサインにしか見えない。意図的なんだと思う。それから、人称。これは、最初気付かずに読みとばしてしまい、かなり進んでから「あれ?」となって戻って読み返すはめになった。しかし、これも直木賞作家の有名な叙述トリック作品に比べれば、まだ親切な方と言える。

それ以外にも、2作を通してもちゃんと説明していないで、ほのめかししかしていない点がある。あれの犯人と動機のことである。これも1回目ではスルーしてしまったが、2回目で回収。しかも、動機の方は1作目をよく読まないと出てこない。まあ書いてあるからフェアなんだけどね。

この作品は、いろんな作品へのリファレンスというかオマージュがあるということをマクガイヤーゼミで言っていたが(ジョジョの東方とか、埋め立て地=パトレイバーとか)、 他にも「四方田<四方田犬彦」や、「首都警察<ケルベロスサーガ」から?