仮面ライダー 令和ファーストジェネレーション

子供と観に行く。前作は私好みのメタメタな展開であったが、令和の世の最初の映画は、令和のファーストライダーであるゼロワンを中心に据えた、王道のストーリーだった。なので、子供にも(たぶん)分かりやすい一方、現代社会を反映したネタも入れこんでいるので、大人の鑑賞にも堪えるようになっている。例えば、ヒューマギアに人間が差別されて難民キャンプのようになり、そこでレジスタンスを結成しているのはパレスチナなどを彷彿させるし、その難民キャンプに唯一いるヒューマギアのイズが逆にまた差別されるという多重構造を入れるなんてなかなか。マイノリティをテーマにしているのが、とてもX-MENぽい。今回の悪役が、マイノリティであるヒューマギアの立場でありながら革命による人類打倒を目指すなんてまるでフューチャー&パストのマグニートーではないか。またダイバーシティに対する寛容の問題は、シンギュラリティとともにTV版と共通するテーマである。この共通のテーマで映画を作ったのは、連続性としてはよかった。そこへ前作キャラのジオウの絡ませ方は、やや強引ではある(ナニシロ、最終回で別のライダーのない世界に再生させているので)が、タイムジャッカーをうまく使っていた。で、ジオウは第2回から子供と観ていたので、やはり復活はうれしい。

スターウォーズ スカイウォーカーの夜明け

映画に対する評価は、その対象をどのような立場で捉えるかによって変わってくる。スターウォーズ(SW)について言えば、私はシリーズとしてはそんなに大好きではないがわりと好き、前作「最後のジェダイ(TLJ)」はかなり好きという立場。とうぜん、SW大好きという人だとまたTLJについても変わってくるだろう。それは本作についても言える。ちなみに私は、前々作の「フォースの覚醒(TFA)」はあんまり好きではない。町山さんが「ベスト盤」と評していたが、あまり目新しさがないからなんだろうな。その点TLJがよかったのは、斬新なチャレンジがあったから。

で、本作はというと、TFAと同じJJエイブラムズ。この時から若干嫌な予感はしてた。TLJがどういう作品だったかというと、JJの古臭さをライアン・ジョンソン監督がすべてぶち壊したという意味で斬新だった。カイロ・レンのマスクをぶち壊したり、パルパティーンのコピーみたいなスノークをあっさり殺したり。旧作のメインキャラもレイアを除きお掃除。で終わって、さあ次作どうなるというところで、再びJJ登場。さあJJこの流れをどうする?という流れだった訳だ。

予告が流れてパルパティーン復活を知ったとき、「悪い予感がした」訳である(本作でもI have a bad feelingを誰かしゃべってたな)。そこで、タイトルの「スカイウォーカーの夜明け(The Rise of Skywalker)」である。TLJで、レイはスカイウォーカー家のものではなく、誰でもない子ということになった。が、スカイウォーカー家はレイアとカイロレンしかいなくなっており、まさか、まさかのレイ=スカイウォーカー説復活!?と勘繰ってしまいさえする。

で、前作の挑戦に対し、(この辺からネタバレ注意)JJがどうしたかというと、ジョンソン監督に壊されたものは軒並み修復してきた。壊されたカイロレンのマスクは作り直す。スノークの代わりに、死んだはずのパルマティーン復活。これではあれじゃない?結局、ジェダイの帰還(TROJ)の焼き直しをするだけじゃない?という悪い予感がビンビンしてくる訳だ。細かいとこでは、TLJでライトセイバーをポイッとしたルークに、「武器を粗末にするな」と言わせたり。この辺かなり意図的にやってるだろ。

ストーリーも、始めの方、なんか修行していて「また修行かよ!」と思わせるし、その後も既視感バリバリ。脚本もさあ…なんで、大事な古代の剣をチューイに持たせとくの?でそのまま外に出すの?なんでデストロイヤーの警備は、コイン1個で認証して中に入れてしまうの?とか。いきなりクライマックスの話になってしまうが、パルパティーンがレイに自分を殺したら皇帝になるとか言ってレイは殺すのをいったん止めるのだが、結局最終的に殺してめでたしめでたし。え?さっきのはなしになってたの?

けなしばっかりしたが、絵作りはなかなかよかったと思う。最初の林の中のカイロレンのシーンはよかったし、リモートでレイとカイロが戦うシーン。アダムドライヴァー絡みのところはだいたいよかった。

最後のレイの正体については…「なるほどそうきたか」と意表をつかれた。しかし、その後の展開は、やっぱりTROJと同じだったね(罪を背負ったアナキン=ベンが改心してルーク=レイを命がけで救う)。そして最後、レイがとんでもない裏技でスカイウォーカー襲名!途中は違ったが俺の言った通りじゃん。結局JJこれにつなげたかったか。

この作品の評価はむずかしいが、間にTLJがはさまれたことで、本作が単調になりがちなところが救われたと思う。JJも前作の流れが無視できなくて苦労しただろうし、それで若干のひねりが入ってくれたのだと思う。しかしこのシリーズは続きそうだねえ。今作初登場のルピタ・ニョンゴのストーリーとかもできそうだしね。

あ、そうそう、前作で既に鬼籍に入られていたキャリーフィッシャーですが、本作でも登場してましたね。さすがにセリフも動きも少なかったが、ここまで本人再現できてしまうんだ、と思ったね。

新作歌舞伎「風の谷のナウシカ」

昼の部夜の部の2部構成だが、仕事の都合で夜の部のみ鑑賞。

この歌舞伎の観客は、「歌舞伎(ないし役者)」を見に来た」「ナウシカを見に来た」に分かれると思う。もちろん歌舞伎なんて見たこともない私は後者な訳だが、客は女性客が多く、見たところ圧倒的に前者が多そうである。そんな人たちは、「ナウシカってどんな話?」とか、「話についていけるかしら?」とか、「ナウシカってあれでしょ、ナウシカが大カイショーを止めて世界を救う話でしょ(それは映画の話で今回は原作漫画ベース)」みたいな不安を抱くんだろうが。こっちはこっちで、「歌舞伎が分からないのについていけるか」だの、「かなり前(2列目!)の席なので、積極的に参加を求められたらどうしよう?いよっ千両役者!〇〇屋!とか(完全に知識がない中想像で言ってます)」だの、「そもそもあの話を歌舞伎でどうやって表現するのか?コルベットの空中戦は?巨神兵は?」だの、色々と不安があったわけで。

鑑賞してみて、「今日は大事なことを学んだ」。それは、「見立て」だ。映画「ダンケルク」の町山さんの解説で、ドイツ軍の戦闘機メッサーシュミットがたった3機しかない(本当はたくさんいるはず)のは、「見立て」だと。クリストファー・ノーランがCG嫌いだったからなのでが、たまたま3機あったメッサーシュミットを「大勢の敵」に見立ててくれと。この「見立て」は例えば特撮や舞台、落語などでも見受けられるが、(見たことなかったが)歌舞伎では常套手段であろう。ダンケルクの予備知識があったから「あーここはそういう『見立て』なんだ」と納得して観れたのは大きい。チャルカ(土鬼の僧)が、ふつーに仏教のお坊さん姿で登場した時には、少しだけ「うっこれは…」と思ったが、その後はわりと大丈夫だった。

とはいえ、歌舞伎の表現で制約がどうしても出てしまうところはある。私の大好きなシーンで、クシャナが自分の軍を救うためにカポの自国の基地を急襲したが失敗し、そこへ蟲の大群が…というのがある。そのシーンでは思わず泣いてしまったが、戦闘機コルベットをぶち当てて奪うアクション的見せどころをどうするのかと思ったが、やはりそれは限界があり演出を変えたりしている。そういえば、主演のナウシカ役の  尾上菊之助 が私が見た回の数日前に負傷したというニュースがあり、上演前にも、「そのせいで若干演出に変更がある」というアナウンスがあった。そういった影響もあるのだろう。おおむねはそれで私的にはOKであった。アクション以外にも、対話劇など(ヒドラの誘惑、ナムリス、シュワの墓所など)ナウシカには楽しみが多々ある。このあたりは歌舞伎には合っているのかも。

そんな私も最後の「見立て」にはのけぞった。なにぶん 歌舞伎素養がないせいだが、巨人であるはずの巨神兵とシュワの墓所の主が擬人化?(普通の人間サイズの人間で)して、例の長い髪の毛をふりまわすやつで戦う(踊る?)のだ。そうか。これが歌舞伎的オトシマエのつけ方か。

全体としては大満足の本作だったが、ちょっと不満な部分もある。それは、ナウシカのキャラクターが、歌舞伎の女形に合わないということだ。ナウシカは時に激しい一面も見せるが、それは男性が女性を演じれば解決するものではない。なぜかというと女形は男性がいかに女性らしさを出して演じるかということに重点を置くからだ。それでも女形女形はしないようにはしているのだが、よく宮崎さんがこれを許可したものだと思った。なぜか、クシャナの方はあまり気にならないというのも不思議なものだ。

あとは細かい点だが、入場して正面の幕が、映画のオープニングのタペストリーを再現していて、これはうれしかった。世界観をこれで説明する、ということらしく、後編のオープニングで使っていた。

i —新聞記者ドキュメント

森達也監督の映画なので、なかなか時間が作れなかったがなんとか鑑賞。

監督の他の作品、例えば「FAKE」は、ドキュメンタリーでありながら、はたして観ているものをどうとらえたらいいのか、視聴者を混乱させる仕掛けの多い作品だった。それに比べると本作はだいぶストレートだ、というのが見始めたときの印象。だって、「A」「A2」や「FAKE」って、同じ密着ドキュメントだけど、これらの作品では、森監督は密着相手と決して同じ立場に立っている訳じゃないじゃない。ところが、「i」は違う。同じ立場じゃない。だから、構成としては普通だよね

と、思っていたんだが、最後の最後でくつがえされた。それは「i」というタイトルの意味が分かる瞬間でもあるんだけど、一つの映像が挿入されているの。それは、丸坊主の後ろ姿のアップから、だんだんカメラが引いてくると、周りの群集が丸坊主の人をあさけっているのが分かってくる。そこにナレーションが入る。それは、パリ解放の後で民衆たちが戦時中ナチ相手に娼婦をしていた女性を丸刈りにして、晒し者にした様子だった。「え?最後にこれ?」と思ったね。だって、安部首相や 菅 さんもナチも同じ権力側とすると、それに抵抗する人達=主人公の望月さんの周りにいる人達という構図になっている訳じゃない。それを無条件礼賛かと思いきや、いきなりひっくり返してみせるのだ。そして「i」の意味が語られるが、i(アイ)とは、1人称単数のiだ。つまりこれは、個人、しかも自分自身についての話なのだ。決して主人公は民衆ではない。どんな立場であろうと、民衆に対する個人の映画なのだ。実は、1人称というのは、森監督自身のことも言っているのだ。ひとり戦う望月さんの姿を見て、自分自身はどう行動するのか。そんな問い掛けの映画だと思った。映画の最後で、街頭演説をする菅さんとそれをじっと見つめる望月さんの脇で、森監督がささやかな抵抗を警官に試みるシーンがある。それがほんとにどうでもいいようなもので、「ちょっと横断歩道を渡らせてくれ」「だめです」みたいなやりとり。ほんとどうでもいい。最初はなんでこんなシーン入れるのかと思った。でも、これこそが森監督が自分、「アイ」の行動として見せたかったことなんだよね。やっぱり森さんはあなどれない人だと思った。それを思ったのは、すっかりリベラルっぽくなった籠池さんのインタビュー映像に、さらっと森友学園の生徒のシーンを挿入しちゃう。こういうとこ、ほんといやらしい(褒めてます)。

X-MEN ダークフェニックス

映画のX-MENシリーズはすごく好きかと問われると微妙…けど全部観た。そんな私が観たダークフェニックスは…今までで一番よかったぞ。ソフィ・ターナーa.k.a.サンサ・スターク@ゲーム・オブ・スローンズよかった。最初はなんか、ほんとサンサっぽい登場だったのが、徐々に成長を見せ、最後は正真正銘のフェニックスに。ちょっと感動した。私がよかったと思ったのはブライアンシンガーがいないせいか、ウルヴァリンがいないせいか…あ、ジェシカチャスティンもよかったよね。

この辺からネタバレか?この映画、「家族」がテーマの一つだと思うんだけど、それで思い出すのは「デッドプール2」。同じテーマ。しかも、こんなセリフも出てくる。「X-MEN」という名前について、「X-WOMENにすべきかも」これ、デッドプール2でもやってたぞ。アンサーソング?それと、ジーンが最後、感情に流されるのがダメと敵に言われ、「それがどうした!」と反撃。あれ、これも最近観たぞ?「キャプテン・マーベル」でヴァースがヨンログ相手に同じことやってたよね。ジーンのチートぶりもキャプテンマーベルそっくり。で最後は、人間を超越してしまった?まどマギ?2001年?というかこれで終わり、一つの区切りなんですね。ジェニファーローレンスもいなくなっちゃったし。20世紀フォックスはディズニーに買収されて、リブートかあ。

ジョーカー

最初の私のこの作品に対する期待度はそれほど高くなかった。「あー、今度は悪役シテンで1本作るのね。そういう観点もあるよね」といった、わりと冷めた受け止め方であった。若干アメコミ映画にも食傷してたのかも。加えて、今回は事前知識がどんどん入ってくる。特に、アカデミー主演男優賞レースでタロン君と一騎打ちだとか、ジョーカー役のホアキンはこういう基地に入れない役は十八番だからタロン君にあげるべきとか。私も先にロケットマンを観てそう思ったし。

といった、もろもろの設定されたハードルがあった訳だが、それらを軽く飛び越えてきたね。売り文句にもあるがまさに衝撃と言ってよかった。だいたい傑作の映画は、最初のシーンでだいたい分かるもの。今回も、最初にピエロのメイクをしているホアキン(アーサー)の横顔のアップがうつって、そこに描いたメイクの涙が垂れてきた時、私は確信した。とにかくこの映画は絵がいい。見たこともないようなゴッサム。ごみだらけなのになぜか美しい。で、ホアキン。私はそんなに彼の演技を見てきた訳ではないが、ちょっと凄いと思いましたよ、素直に。 この辺からネタバレだが、これ、冷静に考えてみればジョーカーにあまり理はないんだよね。 だって、いくら電車の客がイヤな奴だったり絡んできたといっても、殺されそうだったかどうかは分からないじゃん。でもいきなり殺しちゃったからね。そこを、アーサーの方を正当化するようにもっていく演技と演出。これを、現代にまさにマッチした格差の問題をからめて、ジョーカーをヒーローにまつりあげていく。もっていき方も見事。

主人公アーサーは、精神が不安定で、薬を何種類も処方されている。しかも、市の助成打ち切りで処方もストップ。ということは、この後は私大好きの、信用ならない語り手映画になっていく。恋人の件は、不幸なアーサーにしてはあまりにもうまくまわりすぎるので、どうもあやしかった。それに、バー?でアーサーが出演していて、最初まったく笑いがとれなかったのに、突然カットが入ったように客席の笑いが起きるシーン。そのことを敷衍すると、他にもあやしい点が。尊敬するマレー・フランクリンの客席にいたアーサーが声をかけられて壇上に上るシーンがあるが、これは確実に妄想くさい。なので、その後マレーのTVから出演オファーが来たのも、妄想ではないかと思った。

これ、いわゆるユニバースの流れに入れないからある程度自由に作れたのもよかったんだと思う。

大きく振りかぶって(ひぐちアサ)

私は野球派かサッカー派かと言われれば(こんな対比がもう既に死語領域ではあるが)、サッカー派な訳である。当然、漫画もサッカー漫画を好んで読む。が、そんな私でも、こんな漫画がサッカーにもあれば、とうらやむ漫画が、「大きく振りかぶって」である。

かつての野球漫画の代表といえば、水島新司先生の「ドカベン」が挙げられるだろうか。あの荒唐無稽さはあれはあれで魅力ではあるのだが、「大きく振りかぶって」はその対極にあるといっても過言ではない。それは、巻末に載る作者のとんでもない野球に対する(ルールだとか)に体現されている。32巻の巻末のコラムは、 スコアブックの付け方 である。一般の読者がそんなの覚えてたいと思うだろうか!?そこまでいくと少々暴走気味ではあるが、とにかくその細かい知識に裏打ちされたストーリー展開が、本作の魅力になっている。特にバッテリーと打者の心理的かけひき。これだけで読者は引きこまれる。もちろんそんな目立つ部分だけでなく、体力作りからなにから、細部に至るまで作者の知識愛がふりそそぐ。しかもそれがちゃんと読んで面白い。これは「ドカベン」では決して味わえなかったものだ。また、同じ女性作家のサッカーオタ(インナーマッスルオタ)によるサッカー漫画「フットボールネーション」が、わりと説教くさいというか教条的になりがちなのに対し、本作は説教ぽくならずにうまくストーリーに溶けこんでいるのもよい(※私は「フットボールネーションも大好きなので誤解なきよう)。

「大きく振りかぶって」のもう一つの大きな魅力は(そろそろネタバレ注意)、リアリズムにある。本作は、かつて高校野球を題材にした漫画が避けられない、「一発勝負であるがゆえになかなか負けられない」という呪縛から解放されていて、実によく負ける。最初に衝撃だったのは、主人公たちの西浦高校が夏の大会県予選を勝ち進んでいって、5回戦、リードされて、最後に逆転するかと思いきや!あっさり負けちゃったことである。あれはショックであるとともに、なんか新鮮な感動を受けたのを覚えている。最新巻(32)でも、4市大会という、ローカルな大会で、すら、優勝という結果に終わらず、しかも以前は勝った相手にリベンジ食らう、という負け方をする。敵のインフレ化していたかつての王道少年漫画だったら予想だにしない展開である。

…という風にベタ褒めの本作だが、かつては不満もあった。それは主人公三橋である。最初は彼はキャッチャー阿部に完全服従の自我がないヤツに見えた。それがなんか絵柄とあいまってすごくBLぽく感じていて、それがなんかイヤだった。後になってその設定自体が伏線で、主人公の成長がちゃんと描かれる訳だが。でも、特に女子人気高そうに設定された阿部のことはいまだにあまり好きにはなれない。「ハイキュー!」のポジションでいうと影山にあたり、だから私は影山もあまり好きではない。まあ非モテの僻みと思って聞き流してくれ。

飛行機で観た映画

先日、ルクセンブルクへ行く機会があり、機内の映画プログラムを見たらそこそこ観てないのばかりだったので、この機会に一気に鑑賞できた。

最初に観たのは、「ジョン・ウィック パラベラム」。こいつは日本未公開だから当然真っ先に鑑賞。2作目から何年も経ってるのに、2作目の終わりから今作がしっかりつながってる。今回、町じゅうの殺し屋に狙われるという派手なシチュにも関わらず、キアヌが地味に実践的に殺し屋を倒していくのがいい。あと、砂漠に行っても黒スーツ一張羅なのは笑った。ストーリーのことはあまり言ってもしかたないか。ちょっと残念なのは、日本人役の人の日本語があまりうまくないこと。それ以外は満足。

次は、「ロケットマン」。なんで観てなかったかというと、実在の歌手の伝記的映画ということで、「ボヘミアン・ラプソディ」が当たったからなんとなく二番煎じ的匂いを感じた(二番煎じも何も監督一緒やがな)のと、エルトン・ジョンのことをよく知らなかったというのがある。しかし、これは大逆転で、いきなり今年ベスト1か!というほどの大傑作。まず、ミュージカルとして非常に素直。ストーリーからいきなり詩に行く違和感がまったくない。その時の状況に歌詞が驚くほどマッチしている。それと歌うタロン・エジャートン(エガートンじゃないらしい)が最高。ついでに、相棒のバーニー・トーピンもいい。

次がなんかCMで「あなたはダマされる」みたいに宣伝されていたので、「コンフィデンスマンJP」。これなあ。(ネタバレです)あまりそこまでコンゲームコンゲーム言われると、そういう前提でこっちも身構えちゃうから、匙加減が難しいね。結果、あまり意外性なかった。あいつが裏切るのはまあ見え見えだし。そこまで分かって見ちゃうってのがありなのかなあ。

次。なんとなく小物っぽい「MIBインターナショナル」。これは、主人公の女の子がよかった。まあ、話としては想定をはみだすことはないが、逆にしっかりと作ってあって最後まで飽きずに観れる。

次は、問題作「愛がなんだ」。実は町山さんの評(ムダ話)を先に聴いての鑑賞となった。この辺からネタバレになっていくのでよろしく。というか、ネタばれしてどうこういう映画でもないが。この作品は、町山さんに推されても、なんか重い、観るのがつらい気がして敬遠してた。でもここで観なかったらたぶん一生観ないと思われるので、気持ちを奮い立たせて鑑賞。結果最後まで観れた。この映画は、岸井ゆきのが主人公だから観れたなあ。最初、「まんぷく」で瀬戸康史に好かれる役をやっていて、「なんでこんな子が?」という印象だったのが、ここではいい演技してた。しかし、ですよ。ちょっとクライマックスのあたりではちょい言いたいことがある。特にムダ話と絡めて。確か町山さんは「無償の愛」のようなことを言ってたが、決して彼女は無償ではなく、見返りをキッチリ求めているよね。真に無償なら、身を引くだけじゃなく、会わないことにして遠くから見ててもいい訳じゃん。でも、最後の選択でも、彼女は自分の気持ちを伝えず、真実を伝えない代わりに今後も会える方を選択した訳じゃないですか。それは単純にその方が自分にとっていいからな訳でしょ。まったくのノーリターンではない訳です。だから、その前のナカハラ君に切れるところが、「そうは言ってもさあ…」になるんで。まあその辺は迷いを見せてますけどね。

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド

英語で書きゃよかった。このタイトル。日本語だとながっ。

今回はのっけからネタバレ前回でいきたい。のをちょっとだけがまんする。感想を言うと、面白かった。ストーリー的には意外性はなかった。マーゴットロビーがよかった。…これだけ書くと、まるでスーサイドスクワットのような。あとはいつものタラちゃん映画同様、見どころは足ですね。脚というか今回は、足の裏。やたら足の裏。フェチ極まれり。

といったところでもう、ネタバレ突入していいすか?まず、実在の人物が登場するということで、この日(1969年8月9日)に実際に起きたことをふまえておきましょう。これをふまえていないと、この映画の意味合い、あと宇多丸さんのインタビューでも言ってるが、監督のこめた思いが全然伝わらない映画になってしまう。幸い私はおぼろげには知っていたからよかったが。しかし中には、「ネタバレしたくないから見ない!」という人もいると思うんだよね。イヤイヤ待てと。これはネタバレじゃないから。いや、実はあまりにもタラちゃんリテラシーが高いと、ネタバレになってしまうかも?たとえばこの映画は展開が、復讐のために史実をねじまげるという意味でイングロリアス・バスターズと相似なんだが、ニコ生のマクガイヤーゼミではネタバレ防止で音声をカットしたにも関わらず、映像でなんとなく分かってしまった、というのが私にとって想定内だったという結果を生んだのかも。いやいや、結構予兆というか伏線はあるのよ。例えば火炎放射器だったり。しかもディカプリオが出演オファーされた映画で、ナチも登場させてるし。それ以外にも、映画がどんどん進行するにも関わらず、シャロンとマンソンファミリーが一向に絡まない。むしろフラグを立ててるのはブラピ、という。(それにしてもあの牧場のシーンは怖かったね。クライマックスより)。これはなんかおかしいと思うわね。で、監督のシャロンへの想いと、過去数作の流れを合わせると、落ちが見えてしまうというワケ。

が、そこが割れていても、面白いのは面白い。最後の格闘は、笑っちゃいけないところでギャグを入れてくるから、思わず笑ってしまった。まわりはあんまり、爆笑というほどではなかったな。

しかし私は一言言いたおことが。それは、女性に対する扱いだ。前作ヘイトフル・エイトの解説で町山智浩さんは、ジェニファー・ジェイソン・リーに対するしうちがひどいと言ったが、実は今回の方がひどくない?ジェニファーは過去に犯した罪に対して裁かれていると解釈できるが、今回のは、(史実では犯したかもしれないが)映画の中(こちらのバース(世界))ではまだ犯してもいない罪の咎で殺されるのだ。見かけ上はたいへんひどいと思うが、町山さんの意見をぜひ聞いてみたいものだ。

ゲーム・オブ・スローンズ

先日、8シーズンにもわたる大作の海外ドラマ、「ゲーム・オブ・スローンズ(以下GOT)」がようやく最終回を迎えた。この作品はダークファンタジーと呼ばれていることもあり、最終回も正直、大団円というものでもない。したがって観る方も大変感慨深くはあるが、それ以上の複雑な感情が渦巻くものとなった。もちろん、終わり方にはまったく異論はない。楽しませてもらったし、特に最終シーズンは、広げた風呂敷のたたみ方や、これまでに総登場した多くのキャラクターの初顔合わせや再会などが見事。これもシーズンを重ねた醍醐味で、続けて鑑賞したファンへのご褒美でもある。

そんなGOTの魅力を語っていきたい。まだネタバレはあまりしないのでご安心を。魅力を3つ挙げるとすれば、「衝撃のストーリー展開」「キャラクターの魅力」「世界観」といったところか。まずストーリー展開だが、この作品、みなさんはどういうモチベーションで見始めただろうか。登場人物たち がバンバン裸になるとか、エロいシーンがあるとか、そんな動機かもしれない(それは私だが)。そういう人達はひょっとしたらがっかりするかも。最初は登場人物の多さに辟易するかもしれない。が、そんな感情もまず第1シーズン第1話のラストでまずふっとぶ。それから、また第1シーズンの中盤でまた衝撃があり、最後でまた別の衝撃が。という風に、筋を追っているだけでも飽きさせない。飽きてる暇がない。GOTでは各シーズンごとに、ラス前1話あたりですごいことが起きている。こっちもこっちで予想は立てるのでが、それをまったく裏切る展開。GOTは原作付きだが、これはドラマの構成の方がうまいせいと思う。

モチロン、話だけでは視聴者はついていかない。そこでキャラクターだ。観ていくうちに、必ず誰かに感情移入できるようなキャラクター。たとエバ、異国に一人嫁に出された少女デナーリス(原作ではデニーと呼ばれている)。あるいは、小人症で父や姉からも嫌われているティリオン。このあたりの人種や性別などの多様性は、時代をリードしている面もあるかもしれない。ティリオンを演じたピーター・ディンクレイジは一気に人気役者に。それに、キャラクターが俳優の人気を押しあげるということもあり、デナーリス役のエミリア・クラークやサンサ役のソフィ・ターナーは最近では映画でも主役級の活躍もしてるしね。

最後の世界観だが、これはもう予算をかけていることがほとんどすべてかな。、スペインやアイスランド、クロアチアなどで雰囲気に合ったロケ地選びも完璧。全部CGではこうはいかない。

で、そろそろネタバレを…個人的には前述のようにデナーリスとティリオン推しであったので、二人が邂逅し同じ道を歩みだした時は、「最終的に彼らが玉座を手にすればいいなあ(GOTはまさに玉座をめぐるゲームである)」となんとなく思っていた。で迎えた最終シーズン。はじめに、ほぼ予定されていたナイトキングとアンデッド達との戦いでまずクライマックス。ここは、人間ならざるものが相手ということで、いわざゾンビ相手のバイオハザードみたいなものだから、勝った時には爽快感も得られるもの。しかし、その次に待っているのは、サーセイ率いる王都との戦い。この二段構えにしたのは実にうまい。ここで得られる勝利は、アンデッドとの戦いのように爽快か?と視聴者にふりかえさせる。不吉感を盛り上げておいて、(この時のデナーリスの疲れた表情が非常に印象的)、第5話でのカタストロフィ。観ているこちらとしては、「やっちまった…」という…そう、確かに予兆がなかった訳ではない。デナーリスの残虐性は前のシーズンでもちらちら見え隠れしていた。それを我々はデニー推しなので、ティリオンのように見て見ぬふりをした。あるいはティリオンがおさえられると思った。そんな甘い期待を、製作者達は容赦なく打ち砕く。王都の完全な破壊と大虐殺で。こちらにはもう苦い思いのみが残り、この後ジョン・スノウがどんな行動をとるかも、もう王手詰みのような状況である。ただ、最後に誰が玉座につくかは少々意外ではあった。が、納得できる。

あと、私が密かに応援していたのが、シオン・グレイジョイである。彼はちょっと小心者の、ごく普通の人間である。彼はその小心さゆえに一度罪を犯し、そこからも小心さゆえになかなか立ち直る、あるいは罪を償うチャンスをもらえなかった。それが最終シーズンでようやくその時が来た。彼はようやく戦って償い、赦された。ベタではあるが、感動してしまった。このシーンはよかったと思う。

そんな訳で、しばらくは、GOTロスである。

by morota